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旧石器時代のまとめ - [~紀元前1万4000年頃]

相沢忠洋岩宿遺跡を発見して日本の旧石器時代の存在が証明
彼らはマンモスナウマンゾウオオツノシカなどの大型動物を追いかけて日本列島へやってきた。食糧調達には主に狩猟・採取を行い、石を打ち砕いてつくられた打製石器(材料は黒曜石など)を使用した。無土器時代とも言われている為、土器はない
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縄文時代のまとめ - [紀元前1万4000年頃 ~ 紀元前4世紀頃]

縄文人は石器を新石器と進化させ、石を磨いた磨製石器を使用。
竪穴式住居高床式倉庫の建物を用いて集落の形成(ムラ)や縄文式土器土偶貝塚、漆製品、装身具、農耕具(木製、石製)を作るようになった。
食料調達には弓矢を用いた狩猟(イノシシ、シカ)や漁(タイ、ボラ、マグロ、サケ、イルカ、クジラ)、採取(クルミ、クリ、ドングリ)、採集(アサリ、ハマグリ)、 焼畑農耕でソバ、ムギ、アズキ、エゴマなどを栽培して果実酒も製造していた。
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弥生時代のまとめ - [紀元前4世紀頃 ~ 250年頃]

集落(ムラ)から小国(クニ)が誕生する。
縄文土器弥生土器となる。
金属(銅、青銅、鉄)が伝わり青銅器鉄器銅剣銅矛銅鐸などが製造される。
農耕は鉄製農具や水田が湿田から乾田に変わり生産性が高まった。
集落が周囲をで囲った環濠集落(かんごうしゅうらく)へと進化する。環濠集落の代表的な遺跡が吉野ヶ里遺跡。更に狼煙台などの軍事目的の高地性集落も出現する。
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古墳時代のまとめ - [250年頃 ~ 592年]

漢字が伝来する ※紀元前との説もある。
ヤマト王権(大和朝廷)が国内を統一して氏姓制度を導入する。
前方後円墳などの古墳が作られるようになり古墳文化という。
百済より儒教仏教が伝来する。
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飛鳥時代のまとめ - [592年 ~ 710年]

国号がから日本へ。
仏教、国際色が強い文化となり飛鳥文化という。
日本初の戸籍(庚午年籍)を作成する。
日本初の通貨(和同開珎)を発行する。
日本人の為の最初の文字:万葉仮名が発明される。
中国への使節で律令制のしくみを学び日本風にアレンジして律令国家となった。(中央集権国家)
私地私民制から公地公民制へ。班田収授法戸籍に基づいて、人民は口分田を与えられその収穫からを徴収される。(租庸調制)
国郡里制で国内はと組織に編成される。それぞれの国司郡司里長で中央が任命した。
朝鮮半島(南部)の奪還作戦(新羅征討計画)、同盟先の百済の救出作戦(白村江の戦い)の失敗。
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奈良時代のまとめ - [710年 ~ 794年]

藤原氏一族橘諸兄道鏡が台頭する。
平城京を中心とした貴族仏教文化となり天平文化という。
経済の中心は租税(租・庸・調)、雑徭となる。更に身分制度(良民賤民奴婢)ができる。
人口増加による口分田の不足により、税収不足になり三世一身法を施行するが失敗。その次に墾田永年私財法を施行する。その結果、大規模な貴族寺社荘園が発生する。
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平安時代のまとめ - [794年 ~ 1185年]

藤原氏一族による摂関政治(摂政関白)がはじまる。
その次に上皇らによる院政平氏源氏による武士の台頭が続く。
菅原道真による遣唐使の廃止で、国風文化(束帯(宮中の男性)、十二単(宮中の女性)、大和絵絵巻物(源氏物語絵巻など)、寝殿造(東三条殿など)、平等院鳳凰堂中尊寺金色堂伊勢物語竹取物語古今和歌集(紀貫之など)、土佐日記(紀貫之)、枕草子(清少納言)、源氏物語(紫式部)、更級日記など)が栄える。その前の中国朝鮮インドイランの外国文化の模倣は弘仁・貞観文化という。
かな文字(平仮名片仮名)が考案され主に女性が使用する。
仏教では空海による真言宗最澄による天台宗法然による浄土宗
奈良時代の墾田永年私財法墾田が増加するが入手した墾田を守る法律がない事と国司による税が高すぎた為、多くが不輸の権不入の権がある有力な貴族寺社寄進をして寄進者は荘官となった。荘官になると領家から地位と荘園からの一部の収穫が与えられた。(寄進地系荘園)
国の収入となるべき田畑の収穫が有力な貴族寺社に集まるようになった為、朝廷荘園整理令を何度も施行するようになる。しかし、ほとんど効果がなかった。
最終的には、墾田の土地の争いで治安が悪くなり武士武士団が登場するようになる。
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鎌倉時代のまとめ - [1185年 ~ 1333年]

源頼朝征夷大将軍になり鎌倉幕府を開く。
源氏の支配は3代でおわり、北条氏一族執権がはじまる。
その後、執権は14代で滅び、後醍醐天皇が台頭する。
将軍の家来が御家人となり将軍御家人御恩奉公の関係となる。(封建制度)
鎌倉幕府の支配機構としては問注所(裁判)、政所(財政・政務)、侍所(御家人の統率)。
守護(国単位の地方長官で軍事・警察機構)、地頭(荘園公領の管理、年貢の取立て)の登場。その結果、朝廷(公)幕府(武)の二元支配となる。(国司 vs 守護荘官 vs 地頭)
元寇の結果、多くの御家人幕府から恩賞が満足に貰えず生活に困窮する。幕府徳政令を出すが逆効果(借金ができない)になり不満が続出する。 その結果、鎌倉幕府は滅亡する
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室町時代のまとめ - [1336年 ~ 1573年]

後醍醐天皇により建武の新政がはじまる。
その次に足利尊氏征夷大将軍になり室町幕府を開く。
南北朝時代は3代目将軍足利義満により北朝の勝利となる。
足利義満は謀略によって有力勢力を衰えさせ幕府の安定をはかる。その後、鎌倉公方関東管領の争いで関東地方が幾度となく戦乱になる。
徳政令などを求めて土一揆が多発する。政権に関しては6代目将軍が暗殺されて権力が衰えた。8代目将軍では側近が追放される。その後、応仁の乱が起こり将軍の権力は完全に失墜した。
時は戦国時代になり近畿・東海地方(織田信長徳川家康今川義元斉藤道三三好長慶浅井長政)、北陸地方・中央高地(上杉謙信武田信玄朝倉義景)、関東地方(北条氏康)、東北地方(伊達晴宗)、四国地方(長宗我部元親)、中国地方(毛利元就尼子晴久)、九州地方(龍造寺隆信大友宗麟島津貴久)などの戦国大名が各地で台頭して下克上の世となる。
そして、中部・近畿地方をほぼ手中に治めた織田信長は15代目将軍足利義昭を京都から追放して室町幕府が滅ぶ。
室町時代の文化は金閣寺銀閣寺(書院造)、観阿弥世阿弥による能楽(+狂言)、太平記(軍記物語)、御伽草子(浦島太郎一寸法師など)、雪舟(水墨画)、連歌茶道華道幽玄わび・さびなどを室町文化という。
貿易に関しては勘合貿易南蛮人(ポルトガル・スペイン)南蛮貿易を開始する。
密貿易や襲撃などの犯罪を行っていた倭寇も最盛期を迎える。
室町幕府の重要な役職として将軍を補佐する管領があり細川氏斯波氏畠山氏三管領という。一方、軍事・警備を司る侍所の長官は赤松氏一色氏山名氏京極氏四職という。関東・東北方面は鎌倉府による鎌倉公方関東管領。九州地方には九州探題を置く。
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安土桃山時代のまとめ - [1573年 ~ 1603年]

織田信長は天下統一の目前で家臣の裏切りにより死去する。
その後、豊臣秀吉が天下統一を果たす。豊臣秀吉は朝鮮に出兵をするが病死して撤退する。
豊臣秀吉の亡き後の天下分け目の戦いでは徳川家康が勝利する。
この時代の文化は桃山建築(安土城大阪城姫路城など)、襖絵・屏風(洛中洛外図屏風唐獅子図屏風 - 狩野永徳など)、茶の湯(千利休)などを桃山文化という。
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江戸時代のまとめ - [1603年 ~ 1868年]

徳川家康征夷大将軍となり江戸幕府を開く。
大名の配置転換では親藩譜代大名外様大名を適切に配置する。
将来の将軍後継者候補などに御三家(尾張徳川家9男義直紀伊徳川家10男頼宣水戸徳川家11男頼房)をつくる。
大名は1万石以上の石高を持つ武士でその領地をとした。一方、将軍直属の家臣では1万石以上が旗本、それ以外が御家人となる。
幕府の組織としては将軍の直属に大老(臨時)老中若年寄奏者番寺社奉行京都所司代大阪城代側用人とあり、老中の配下に江戸町奉行勘定奉行大目付などがある。
キリスト教を禁止する。士農工商の身分制度が導入される。
2代目将軍徳川秀忠の政治(家康存命)では謀略で豊臣家を滅亡させる。武家天皇公家の法令を定める。(武家諸法度禁中並公家諸法度)
3代目将軍徳川家光では参勤交代を定める。鎖国(幕府の対外政策)が完成して農民の法令(慶安の御触書)を定める。
5代目将軍徳川綱吉では生類憐れみの令を定める。
8代目将軍徳川吉宗では享保の改革を行い財政を安定させる。その他には御三卿(田安徳川家一橋徳川家清水徳川家)をつくる。
9代目将軍徳川家重では宝暦治水事件で薩摩藩の恨みをかう。
10代目将軍徳川家治(田沼時代)では田沼意次重商主義的政策を行う。飢饉の影響で百姓一揆打ちこわしが発生する。
11代目将軍徳川家斉では松平定信寛政の改革を行う。ほぼ効果なし。その他には異国船打払令飢饉の影響による大塩平八郎の乱など。
12代目将軍徳川家慶では水野忠邦天保の改革を行う。アメリカのペリーが黒船で浦賀に来航して開国要求をする。
[幕末]13代目将軍徳川家定では欧米諸国と和親条約・修好通商条約を結ぶ。日米修好通商条約では井伊直弼勅許を得ずに調印した事によって、井伊直弼(南紀派)と一橋派尊皇攘夷派とで対立するようになる。
[幕末]14代目将軍徳川家茂では井伊直弼による安政の大獄一橋派尊皇攘夷派を弾圧する。その結果、井伊直弼桜田門外の変で暗殺される。公武合体運動朝廷幕府公武合体を実現する。八月十八日の政変禁門の変の影響で幕府は二回に渡り長州征討を実行する。幕府は惨敗して権威が失墜する。
[幕末]15代目将軍徳川慶喜では大政奉還が実現して江戸幕府が崩壊する。王政復古の大号令で天皇主体の政治体制となる。
江戸は世界有数の人口、識字率となりアジア最大の文明国家となる。
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明治時代のまとめ - [1868年 ~ 1912年]

明治維新から富国強兵文明開化で急激に近代国家へとなる。
政治体制は三職制から太政官制になる。太政官制は頻繁に変更されて最終的には内閣制度が誕生する。幕末から大正時代の半ば迄の政治は藩閥(薩摩藩長州藩土佐藩肥前藩)による独裁的な政治体制となる。
明治政府戊辰戦争旧幕府の勢力を鎮圧する。
その後、自由民権運動が高まり自由党(板垣退助)、立憲改進党(大隈重信)が結党する。政府による言論弾圧が続くが大日本帝国憲法国会が開設される事となる。
1870年後半には、武士の特権を廃止した結果、西南戦争などの士族の反乱が発生するが鎮圧される。
欧米諸国との不平等条約の改正で日本の国際的地位が向上する。 その後、日清戦争日露戦争で勝利して朝鮮併合を行う。
日本の国際的地位が欧米列国と同列となる。
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大正時代のまとめ - [1912年 ~ 1926年]

政治体制は護憲運動により藩閥政治が衰退する。
パリ講和会議で世界で初めて人種差別撤廃を提案する。
国際連盟常任理事国となる。(世界五大国の一員となる)
ワシントン会議山東省の権益を放棄。
アメリカの陰謀で四カ国条約に調印、日英同盟を破棄する。
日本史上最大の地震。関東大震災が発生する。
普通選挙法により25歳以上の全ての男子が有権者となる。
治安維持法により社会主義労働運動民主主義自由主義などのあらゆる思想が弾圧される。
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昭和時代(戦前/戦中)のまとめ - [1926年 ~ 1945年]

昭和の始まりと共に世界的な恐慌となる。
その影響もあり関東軍が独断で満洲事変を起こす。
国際連盟からは満州国中華民国に返還するように要請される。
世界五大国に上り詰めた日本は国際連盟から脱退して世界から孤立する。そして、軍部主導の政治となり帝国主義が強化される。
終戦迄、特別高等警察共産反帝国主義などの言論弾圧をする。
その後、大東亜戦争(日中戦争太平洋戦争)へと突入する。
日中戦争に関してはドイツのトラウトマン工作の和平工作を拒絶。
第二次世界大戦(枢軸国 vs 連合国)が勃発して日独伊三国同盟を締結する。
アメリカ・イギリス・オランダは日本に対して石油などの資源の輸出を禁止する。その頃、アメリカからハル・ノートによる要求があるが拒絶する。
この石油禁輸ハル・ノートが契機となり太平洋戦争へと突入する。
戦争目的としては大東亜共栄圏を掲げる。実際は東南アジアにある資源を獲得する為の戦争とも言える。
南方作戦により半年で東南アジア太平洋(一部)を制する事となる。 西はビルマ、南はインドネシア、東はギルバート諸島と日本最大版図となる。
広大な領地が故にミッドウェー海戦の敗北から日本は守勢となる。
アメリカ軍の硫黄島沖縄へ上陸本土空襲に続き広島、長崎に原子爆弾が投下される。
日本はポツダム宣言を受諾して降伏文書を調印する。
その前後にソビエト連邦南樺太千島列島(北方領土4島含む)を占領する。(ヤルタ秘密協定)
戦後、東南アジアの国々は次々と独立国となり大東亜共栄圏の「欧米諸国による植民地からの開放」という目標を達成する。
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昭和時代(GHQ占領期)のまとめ - [1945年 ~ 1952年]

連合国(GHQ)により日本は約7年間に渡り占領される。
GHQは政府に憲法改正五大改革の指令を出す。
特別高等警察治安維持法治安警察法が廃止されて言論や労働運動などが自由となる。
財閥解体農地改革が実施されて経済が民主化される。
学問の自由女性参政権が与えられる。
陸軍省海軍省が廃止されて軍事力が衰退する。
その後、冷戦の影響で民主化・非軍事化とは反対の流れの逆コースがはじまる。
サンフランシスコ平和条約で日本の主権回復連合国との戦争状態が終結する。
日米安全保障条約(旧)により在日米軍が駐留する事になる。
[昭和時代(戦後)の年表へ]

昭和時代(戦後)のまとめ - [1953年 ~ 1989年]

日本経済は朝鮮特需により景気が回復する。
1954年から1973年にかけて経済は高度経済成長を遂げる。
東京オリンピックの開催やIMF8条国に移行して国民総生産(GNP)が世界2位となる。第1回先進国首脳会議(サミット)から参加するなど先進国の地位が不動のものとなる。
経済成長の犠牲としては四大公害病などの公害病が発生する。
1985年にはG5によるプラザ合意の影響で1ドル240円前後から120円台となり国内の輸出産業が大打撃となる。
政府円高による不況を回避する為に低金利政策を実施するが、それが裏目となり株・不動産が高騰する事になる。(土地神話の誕生)
こうして1986年から1991年迄、バブル景気(実体のない好景気)が到来する事となる。
バブル景気は東京23区の土地価格でアメリカ本土が購入できるほどで日経平均株価は史上最高値:38,957円となる。
その一方で、安保闘争全共闘運動などの学生運動(全学連全共闘)が盛んになる。また、左翼団体(赤軍派連合赤軍日本赤軍革マル派中核派)によるハイジャックや襲撃事件、内ゲバが相次いだ。
国土防衛に関しては防衛省自衛隊(陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊)を設置する。
政財界はロッキード事件リクルート事件が明るみに出る。また、自由民主党が1955年から1993年迄の38年間も連続して与党となる。主な政策としては国民所得倍増計画消費税の導入や三公社民営化環境庁の設置、東南アジア諸国との外交(戦後賠償平和条約の締結)などである。
戦後賠償は1977年4月に全ての支払いが終了する。(北朝鮮を除く)
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平成時代のまとめ - [1989年 ~ ]

日本はバブル景気の中、世界では冷戦が終結する。
1991年、総量規制消費税などでバブルが崩壊して失われた10年(失われた20年)となる。
政府による金融ビッグバン、IT関連企業の台頭によるITバブルライブドア・ショックが発生する。
2007年~ アメリカのサブプライムローンリーマン・ショックが発生して世界金融危機となる。
2012年12月~ 自民党アベノミクスの経済政策が期待される。
政府の主な政策としては消費税5%(10%へ)、PKO協力法(自衛隊カンボジアイラク派遣)、周辺事態法郵政民営化事業仕分けエコカー減税自動車NOx・PM法NPO法などである。
情報通信機器の技術発展によりポケベルPHS携帯電話スマートフォンパソコンが普及する。
1995年のWindows95の発売からインターネットが急激に普及する。ブログSNS(ミクシィフェイスブック)、ツイッターオンラインゲームスカイプLINEが社会現象となる。
日本はあらゆる情報をインターネットで入手できる時代、高度情報化社会となる。(中国は検閲、韓国は親日サイト削除など言論の自由がない)
一方、アメリカではアメリカ同時多発テロ事件が発生して対テロ戦争としてアフガニスタン紛争イラク戦争などが発生する。
日朝首脳会談により拉致被害者5人が帰国する。
住専問題で公的資金約7000億円を投入。北海道拓殖銀行山一證券が破綻する。
戦後処理問題(朝鮮)は昭和の日韓基本条約日韓請求権並びに経済協力協定に続き、河野談話村山談話アジア女性基金慰安婦問題日韓合意。特に河野談話は証拠なしで慰安婦の強制を認めているので問題である。その後、慰安婦問題日韓合意で最終的かつ不可逆的に解決する。
今後の研究分野ではiPS細胞バイオ燃料研究が期待される。

世界史、日本史のまとめ


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