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平安時代 - [794年 ~ 1185年]

藤原氏一族による摂関政治(摂政関白)がはじまる。
その次に上皇らによる院政平氏源氏による武士の台頭が続く。
菅原道真による遣唐使の廃止で、国風文化(束帯(宮中の男性)、十二単(宮中の女性)、大和絵絵巻物(源氏物語絵巻など)、寝殿造(東三条殿など)、平等院鳳凰堂中尊寺金色堂伊勢物語竹取物語古今和歌集(紀貫之など)、土佐日記(紀貫之)、枕草子(清少納言)、源氏物語(紫式部)、更級日記など)が栄える。その前の中国朝鮮インドイランの外国文化の模倣は弘仁・貞観文化という。
かな文字(平仮名片仮名)が考案され主に女性が使用する。
仏教では空海による真言宗最澄による天台宗法然による浄土宗
奈良時代の墾田永年私財法墾田が増加するが入手した墾田を守る法律がない事と国司による税が高すぎた為、多くが不輸の権不入の権がある有力な貴族寺社寄進をして寄進者は荘官となった。荘官になると領家から地位と荘園からの一部の収穫が与えられた。(寄進地系荘園)
国の収入となるべき田畑の収穫が有力な貴族寺社に集まるようになった為、朝廷荘園整理令を何度も施行するようになる。しかし、ほとんど効果がなかった。
最終的には、墾田の土地の争いで治安が悪くなり武士武士団が登場するようになる。
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794
桓武天皇が京都市中心部にある平安京に遷都
797
804
805
最澄(伝教大師 - でんきょうだいし)、日本に戻り天台宗(でんだいしゅう)を伝える。滋賀県と京都府の間の比叡山延暦寺(えんりゃくじ)を建てる
806
807
冤罪藤原吉子伊予親王が死去。その結果、藤原南家の勢力が衰える。
810
平城上皇嵯峨天皇との争い。嵯峨天皇が勝利して藤原北家藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)天皇の秘書長官である蔵人頭(くろうどのとう)となる。藤原北家の繁栄の基礎となる。
842
皇太子を巡る政変で、結果は藤原北家藤原良房(ふじはらのよしふさ)の甥(道康親王)が皇太子となった。
858
藤原良房が人臣(皇族以外)で初の太政大臣となる
藤原良房が人臣で初の摂政となる
864
富士山噴火(貞観大噴火)
866
応天門の変(藤原良房伴氏を陥れて流刑にする)
869
884
藤原基経関白となる(関白のはじまり)
887
889
宇多天皇は勢力拡大の為、桓武天皇の曾孫の高望王に平姓を与える。平将門(たいらのまさかど)高望王の孫になる。(桓武平氏)
880年以降
歌物語「伊勢物語」ができる
894
890年代後半
日本最古の物語「竹取物語」ができる
901
902
905
935
紀貫之による日記文学「土佐日記」ができる
935-941
平将門の反乱(関東)と藤原純友の反乱(瀬戸内海)。
平将門は関東を手中に収めて新皇と名乗るがその2ヵ月後に藤原秀郷平貞盛に討たれた。藤原純友経基王によって鎮圧される。
939
960
経基王(つねもとおう)臣籍降下で源姓(源経基)となる。孫の嫡流が源頼朝となる(清和源氏)
969
安和の変(あんなのへん) - 皇位継承者争いで、藤原師尹(ふじわらのもろただ)源高明大宰府へ左遷させる(藤原氏、最後の謀略)
975
995
藤原道長内覧(ないらん)宣旨(せんじ)を受けて権力が拡大する
996
1008
紫式部(むらさきしきぶ)による世界最古の恋愛小説「源氏物語」ができる
1016
藤原道長摂政となる
藤原道長は3人の娘を皇后に1人を皇太子妃にして権力を拡大した。
1019
1028
房総で平忠常が起こした反乱。源頼信(みなもとのよりのぶ)が鎮圧。
1040
1045
1051-1062
東北地方での安倍頼時(豪族)と源頼義清原武則(官軍)の争い。安倍氏が滅亡する。
1052
1059
1063
源頼義が鎌倉に鶴岡八幡宮を建立
1068
後三条天皇が即位する(親政に戻り藤原氏の摂関時代の終焉となる)
1069
1083-1087
東北地方での清原氏源義家清原清衡(ふじわらのきよひら)の争いで源義家が勝利する。清原清衡藤原清衡となり奥州藤原氏の祖となる。
1086
白河天皇上皇となり院政を開始(院政のはじまり)
1095
白河上皇北面武士を設置する
1096
白河上皇出家して白河法皇となる
1105
1108
源義親の乱(源義親が略奪、乱暴を働いた為、平正盛に討たれた)
1129
鳥羽上皇院政が開始する
1156
1158
後白河天皇院政が開始する
1159
源義朝の内乱、源義朝平清盛に討たれる。源頼朝は伊豆に流刑。この頃には平清盛を礎とする平氏一族が台頭する。
1164
平家納経(平清盛厳島神社に33巻の経典を奉納する)
1167
平清盛武士で初の太政大臣となる
日宋貿易(にっそうぼうえき)が盛んになる。平時忠「平家にあらずんば人にあらず」と発言する。
1175
1177
鹿ケ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう) -平氏を倒す陰謀で首謀者は斬首、流罪
1179
平清盛後白河法皇を幽閉する
1180-1185
1180-05
以仁王(もちひとおう)が平家打倒の令旨(りょうじ)以仁王源頼政は挙兵するが敗死
1180-08
石橋山の戦い源頼朝大庭景親に敗れる。源頼朝は敗走中に梶原景時に発見されるが見逃される。その後、源頼朝は鎌倉へ行き本拠地とする
1180-10
富士川の戦い源頼朝平維盛が対峙するが平維盛は敗走する。源頼朝は弟の源義経(牛若丸)と対面する
1180-11
1180-12
平清盛後白河法皇の幽閉をとく
1181
1181-01
後白河法皇院政を再開する
1181-02
平清盛が病死する
1183-05
1183-07
平氏が都を捨て西国へ敗走。源義仲が入京(都で乱暴をはたらく)
1183-10
水島の戦い源義仲平氏に敗れる
源頼朝朝廷より宣旨をうける(寿永二年十月宣旨 - 東国支配権)
1184
1184-01
1184-02
一の谷の戦い源範頼源義経が勝利。平氏の敗走
1185-02
屋島の戦い源義経が勝利。平氏の敗走
1185-03
壇ノ浦の戦い源義経が勝利。平氏の滅亡
平安時代末期頃
日本最古の漫画「鳥獣戯画」ができる

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