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飛鳥時代 - [592年 ~ 710年]

国号がから日本へ。
仏教、国際色が強い文化となり飛鳥文化という。
日本初の戸籍(庚午年籍)を作成する。
日本初の通貨(和同開珎)を発行する。
日本人の為の最初の文字:万葉仮名が発明される。
中国への使節で律令制のしくみを学び日本風にアレンジして律令国家となった。(中央集権国家)
私地私民制から公地公民制へ。班田収授法戸籍に基づいて、人民は口分田を与えられその収穫からを徴収される。(租庸調制)
国郡里制で国内はと組織に編成される。それぞれの国司郡司里長で中央が任命した。
朝鮮半島(南部)の奪還作戦(新羅征討計画)、同盟先の百済の救出作戦(白村江の戦い)の失敗。

592
推古天皇が即位(日本初の女帝 - 第33代天皇)
593
600-603
計3回の討伐で第一次は新羅の降伏。残りの2回は失敗におわる
603
冠位十二階を制定
氏姓制度にとらわれずに能力主義で人材を登用をする
604
憲法十七条を制定(和の精神、天皇へ服従、官吏の心得)
607
聖徳太子煬帝へ当てた手紙「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」。を対等関係にしようとした。
621
聖徳太子死去。蘇我一族の専横がはじまる
630
645
中大兄皇子(天智天皇)中臣鎌足(藤原鎌足)蘇我入鹿蘇我蝦夷を殺害して蘇我一族の体制を崩した。孝徳天皇が即位して、改革を進め都を大阪府大阪市の難波へ遷都
646
663
朝鮮半島の白村江での百済連合軍と新羅連合軍との戦いでの勝利。は敗戦の影響で西日本各地に山城を築き防人を配備して大宰府を設置した。更に都を近江大津宮に遷都する。
7世紀後半
国号がから日本になる
668
中大兄皇子が即位して天智天皇となる
669
藤原鎌足が死去
670
日本初の戸籍(庚午年籍 - こうごのねんじゃく)を作成する
671
天智天皇が死去
672
壬申の乱(古代史上最大の内乱)
大友皇子(弘文天皇)と弟の大海人皇子が皇位継承の争い。大海人皇子の勝利で天武天皇となる。
689
694
都を奈良県橿原市(かしはらし)の藤原京(長安の模倣)に遷都
697
701
編纂は忍壁皇子(おさかべのみこ)藤原不比等で、この頃から藤原不比等が台頭するようになる。
708
和同開珎(わどうかいちん)が発行される(日本初の通貨)

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