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江戸時代 - [1603年 ~ 1868年]

徳川家康征夷大将軍となり江戸幕府を開く。
大名の配置転換では親藩譜代大名外様大名を適切に配置する。
将来の将軍後継者候補などに御三家(尾張徳川家9男義直紀伊徳川家10男頼宣水戸徳川家11男頼房)をつくる。
大名は1万石以上の石高を持つ武士でその領地をとした。一方、将軍直属の家臣では1万石以上が旗本、それ以外が御家人となる。
幕府の組織としては将軍の直属に大老(臨時)老中若年寄奏者番寺社奉行京都所司代大阪城代側用人とあり、老中の配下に江戸町奉行勘定奉行大目付などがある。
キリスト教を禁止する。士農工商の身分制度が導入される。
2代目将軍徳川秀忠の政治(家康存命)では謀略で豊臣家を滅亡させる。武家天皇公家の法令を定める。(武家諸法度禁中並公家諸法度)
3代目将軍徳川家光では参勤交代を定める。鎖国(幕府の対外政策)が完成して農民の法令(慶安の御触書)を定める。
5代目将軍徳川綱吉では生類憐れみの令を定める。
8代目将軍徳川吉宗では享保の改革を行い財政を安定させる。その他には御三卿(田安徳川家一橋徳川家清水徳川家)をつくる。
9代目将軍徳川家重では宝暦治水事件で薩摩藩の恨みをかう。
10代目将軍徳川家治(田沼時代)では田沼意次重商主義的政策を行う。飢饉の影響で百姓一揆打ちこわしが発生する。
11代目将軍徳川家斉では松平定信寛政の改革を行う。ほぼ効果なし。その他には異国船打払令飢饉の影響による大塩平八郎の乱など。
12代目将軍徳川家慶では水野忠邦天保の改革を行う。アメリカのペリーが黒船で浦賀に来航して開国要求をする。
[幕末]13代目将軍徳川家定では欧米諸国と和親条約・修好通商条約を結ぶ。日米修好通商条約では井伊直弼勅許を得ずに調印した事によって、井伊直弼(南紀派)と一橋派尊皇攘夷派とで対立するようになる。
[幕末]14代目将軍徳川家茂では井伊直弼による安政の大獄一橋派尊皇攘夷派を弾圧する。その結果、井伊直弼桜田門外の変で暗殺される。公武合体運動朝廷幕府公武合体を実現する。八月十八日の政変禁門の変の影響で幕府は二回に渡り長州征討を実行する。幕府は惨敗して権威が失墜する。
[幕末]15代目将軍徳川慶喜では大政奉還が実現して江戸幕府が崩壊する。王政復古の大号令で天皇主体の政治体制となる。
江戸は世界有数の人口、識字率となりアジア最大の文明国家となる。
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初代将軍 徳川家康(いえやす) 1603-1605

1603
1604
糸割符制度(いとわっぷせいど) - 生糸の輸入に関する制度

2代目将軍 徳川秀忠(ひでただ) 1605-1623

1605
徳川秀忠が2代目将軍となる
1609
オランダ商館を平戸(長崎県)に設置する
島津氏琉球王国を攻略して服属させる
己酉約条(きゆうやくじょう) - 日本と李氏朝鮮との間の貿易再開
1612
禁教令 - キリスト教の禁止(直轄領のみ)
1613
禁教令 - キリスト教の禁止(全国)
1614
徳川家康豊臣秀頼の戦い。豊臣側の真田幸村後藤基次毛利勝永長宗我部盛親明石全登らの奮戦により講和。
1615
大坂夏の陣 - 徳川家康豊臣秀頼の戦い。豊臣氏の滅亡。
武家諸法度 - 武家の法令
一国一城令 - 一つの国に一つの城
1616
徳川家康が死去
ヨーロッパ船の来航を長崎・平戸に制限する
1617
日光東照宮が建立
1600年初頭

3代目将軍 徳川家光(いえみつ) 1623-1651

1623
徳川家光が3代目将軍となる(乳母春日局)
イギリスが日本との交易を撤退
1624
スペイン船の来航を禁止する
1627
紫衣事件(しえじけん) - 朝廷紫衣を巡る法令違反
1629
キリスト教の発見の為に踏み絵を導入する
1633
奉書船(ほうしょせん)以外の海外渡航を禁止する。5年以上の海外渡航者は帰国の禁止。
1634
第一鎖国令と同様。再通達。
1635
藩主を1年おきに江戸に出仕させて大名行列の費用などで藩力を衰えさせた。一方、大名行列により全国の街道宿場が栄えた。
外国船の来港を長崎に限定する。日本人の渡航と帰国を禁止する。
1636
貿易に関わりがないポルトガル人を追放。貿易関係者は長崎の出島に移住させる。
1637-1638
1639
第五次鎖国令 - ポルトガル人の来航禁止
1640-43
1641
鎖国体制(幕府の対外政策)の完成
オランダ商館を出島へ移す。オランダと中国は幕府直轄の出島、朝鮮とは対馬藩、琉球は薩摩藩、アイヌは松前藩で貿易が行われた。
1643
田畑永代売買禁止令 - 田畑売買の禁止
1649
1651
慶安の変 - 由井正雪らによる浪人救済と幕府転覆計画。失敗

4代目将軍 徳川家綱(いえつな) 1651-1680

1651
徳川家綱が4代目将軍となる
末期養子の禁(大名が死ぬ直前に養子を迎える事を禁止)の緩和
1657
明暦の大火 - 江戸の大火事で6割が焼失
1660
1663
武家諸法度を改正して殉死(じゅんし)を禁止する
1666
オランダ風説書 - オランダ商館に提出させた海外事情の書類
1669
1670
箱根用水(用水路)がつくられる
1671
1672

5代目将軍 徳川綱吉(つなよし) 1680-1709

1680
徳川綱吉が5代目将軍になる(犬公方)
1682
1683
八百屋お七が恋の為に放火をする(好色五人女など)
1685,1687
1701
1702
松尾芭蕉俳諧紀行文奥の細道」ができる
1703
1707

6代目将軍 徳川家宣(いえのぶ) 1709-1712

1709
徳川家宣が6代目将軍となる
1709-1715
新井白石(朱子学者)、側用人間部詮房(まなべあきふさ)による政治改革。生類憐れみの令の廃止や勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)の再設置、 正徳金銀の発行、1715年の海舶互市新例(かいはくごししんれい)で金銀の流出を防ぐなど改革を行ったが、幕府の根本的な改革とはならなかった。

7代目将軍 徳川家継(いえつぐ) 1713-1716

1713
徳川家継が7代目将軍となる
1714
18世紀初頭

8代目将軍 徳川吉宗(よしむね) 1716-1745

1716
徳川吉宗が8代目将軍となる(米将軍)
1716-45
1717
1721
目安箱を設置する - 庶民が将軍直訴可能になる
1722
定免法(じょうめんほう) - 年貢の徴収方法の変更
参勤交代(江戸滞在)の期間を短縮する代わりに米を支払う。各藩の財政が向上する事もあり1730年に廃止する。
1723
足高の制(たしだかのせい) - 家格によらない人材登用
1732
1742
上下2巻で上は基本法令81条、下は御定書百箇条(おさだめがきひゃっかじょう)と呼ばれ主に判例。

9代目将軍 徳川家重(いえしげ) 1745-1760

1745
徳川家重が9代目将軍となる
1748
1754
宝暦治水事件 - 治水工事で多くの薩摩藩士が自害する
久留米で一揆がおこる
1758
18世紀半ば
全国的に藩校が広まる

[田沼時代 1767-1786] 10代目将軍 徳川家治(いえはる) 1760-1786

1760
徳川家治が10代目将軍となる
1767
1772
田沼意次老中となる(重商主義的政策、株仲間の激励など)
1774
杉田玄白が医学書(ターヘル・アナトミア)の翻訳「解体新書」ができる
1776
1782-1788
天明の大飢饉 - 1787年の天明の打ちこわしに発展
1783
浅間山が噴火する
1785
蝦夷地調査隊を派遣する

11代目将軍 徳川家斉(いえなり) 1787-1837

1787
徳川家斉が11代目将軍となる
松平定信老中筆頭となる
1787-1793
1789
囲米の制(かこいまいのせい) - 飢饉などに備えて穀物を備蓄
棄捐令(きえんれい) - 旗本御家人札差からの借金帳消し・軽減
1790
湯島聖堂(昌平坂学問所)では朱子学以外の講義を禁止。役人登用試験も朱子学のみとする。
人足寄場(にんそくよせば)を設置 - 軽犯罪者などの職業訓練所
猿屋町会所を設置 - 棄捐令による札差の救済機関
1791
七分積金制 - 町入用(町費)を節減してその7割を積み立てする
風紀対策で入れ込み湯(混浴)が禁止される
米国商船のレイディ・ワシントン号が和歌山県串本町に寄港
1792
林子平(はやししへい)の政論書「海国兵談」が出版禁止となる
ロシアのラクスマン通商を要求するが幕府は拒否する
1798
本居宣長の注釈書「古事記伝」ができる
1802
1804
ロシアのレザノフ通商を要求するが幕府は拒否する
1808
幕府隠密間宮林蔵樺太を探検して間宮海峡を発見
フェートン号事件 - イギリス船の補給要求
江戸湾岸に砲台を建設する
1811
ゴローニン事件 - ロシア船の艦長であるゴローニンを抑留
1821
1824
イギリスの捕鯨船が常陸大津浜・薩摩宝島に上陸して乱暴する
1825
異国船打払令 - 中国とオランダ船以外は砲撃などの武力で追い払う
1828
シーボルト事件 - シーボルトが帰国時に禁制の日本地図を所持
1831
防長大一揆 - 長州藩で発生した一揆
1833
歌川広重による「東海道五十三次」ができる
1833-1839
1834
水野忠邦老中となる
1837
モリソン号事件 - アメリカ船を日本が砲撃

12代目将軍 徳川家慶(いえよし) 1837-1853

1837
徳川家慶が12代目将軍となる
1838
緒方洪庵適塾(蘭学)を開く。門下生は福沢諭吉大村益次郎など
1839
蛮社の獄 - 高野長英渡辺崋山らが鎖国政策を批判して捕縛
1840
1841-1843
1841
株仲間解散令 - 株仲間(カルテル)を解散させる
奢侈禁止令 - 贅沢の禁止
1842
滝沢馬琴による読本「南総里見八犬伝」ができる
薪水給与令(しんすいきゅうよれい) - 外国船の補給を許可する
1843
人返しの法 - 都市部に居住していた農民を故郷に返す
上知令 - 江戸・大阪の領地を幕府の直轄地にする計画。失敗
1843-1852
イギリス・フランス・オランダ・アメリカ船が来航して通商などを要求するが幕府は拒否する
1845
阿部正弘老中筆頭となる
外国船対策に海防掛(かいぼうがかり)を常設する
1853-06
アメリカのペリーが4隻の黒船で浦賀(神奈川三浦半島)に来航して開国の要求する。幕府の返答は翌年とする
1853-11
黒船来航による対策の為に幕府はアメリカから帰国したジョン万次郎旗本の身分で登用する

[幕末 1853-1867] 13代目将軍 徳川家定(いえさだ) 1853-1858

1853-10
徳川家定が13代目将軍となる
1854-03-03
日米和親条約 - 下田・箱館(函館)の開港及び補給など(鎖国廃止)
1854-03-28
下田踏海 - 吉田松陰金子重之輔ペリー船で密航計画
1854-08
日英和親条約 - 長崎・箱館の開港及び補給など
1854-11-04
安政東海地震 - 東海地震
1854-11-05
安政南海地震 - 南海地震
1854-12
日露和親条約 - 国境線、箱館・下田・長崎の開港及び補給など
1855-10
安政江戸地震 - 江戸地震
1855-12
日蘭和親条約 - 長崎での行動が自由となる
1856-08
アメリカ総領事ハリスが下田着任(通訳:オランダ人のヒュースケン)
1857
1858-04
1858-06
関税自主権がなく治外法権を認める不平等条約。但し、日本とヨーロッパで問題が発生した際にはアメリカが仲裁する点もある。
条約を調印する経緯としては井伊直弼勅許を得ずに調印。これにより井伊直弼(南紀派)と一橋派尊皇攘夷派(そんのうじょういは)は対立する。
1858-07 ~ 09
オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも修交通商条約を調印する
1858-08
戊午の密勅(ぼごのみっちょく) - 孝明天皇が幕府より先に水戸藩に勅諚

[幕末 1853-1867] 14代目将軍 徳川家茂(いえもち) 1858-1866

1858-10
徳川家茂が14代目将軍となる
1858-1859
幕府による弾圧事件。一橋派尊王攘夷派吉田松陰橋本左内一橋慶喜徳川斉昭など約100名が罪に問われた。
1860-01
1860-03
桜田門外の変 - 井伊直弼が暗殺される
1861
ロシア軍艦対馬占領事件 - ロシアが対馬の一部を占領
アメリカ総領事の通訳であるヒュースケンが暗殺される
東禅寺事件 - 攘夷派がイギリス公使館を襲撃
1862-01
1862-02
岩倉具視(いわくらともみ)らによって孝明天皇の妹和宮(公)が14代目将軍徳川家茂(武)と婚姻する。これにより尊王攘夷運動が高まる。
1862-04
寺田屋事件 - 島津久光により薩摩藩の尊皇攘夷派が鎮圧される
1862-07
文久の改革 - 島津久光らによる改革。一橋慶喜将軍後見職となる
1862-08
生麦事件 - 生麦村(横浜市)で島津久光の配下がイギリス人を殺傷
1862-12
1863-05
下関事件 - 長州藩がアメリカ・フランス・オランダの船を砲撃
1863-06
1863-07
薩英戦争 - 生麦事件から発展。薩摩藩とイギリスの戦い。講和。
1863-08-17
天誅組の変 - 尊皇攘夷派中山忠光による天誅組が大和で襲撃
1863-08-18
八月十八日の政変 - 公武合体派が京都から長州藩と七卿を追放
1863-10
生野の変 - 七卿落ち公家を擁した尊皇攘夷派による襲撃
1864-03 ~ 12
天狗党の乱 - 水戸藩の尊皇攘夷派が筑波山で挙兵
1864-06
1864-07-19
禁門の変 - 長州藩が京都御所を襲撃。長州藩の敗北。
1864-07-24
第一次長州征討 - 参謀は西郷隆盛。11月3日に長州藩は謝罪降伏
1864-08
四国連合艦隊下関砲撃事件 - 英仏蘭米が下関を砲撃して占拠する
1864-12
功山寺挙兵 - 高杉晋作がクーデターで長州藩の藩政を倒幕とする
1866
福沢諭吉の「西洋事情」ができる
1866-01
薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の桂小五郎、土佐藩の坂本竜馬中岡慎太郎らにより実現した薩摩藩と長州藩の同盟
1866-06
長州藩と幕府の戦い。幕府の全面的敗北で権威が失墜した。
これにより米価が暴騰して全国的に一揆打ちこわしが多発する。

[幕末 1853-1867] 15代目将軍 徳川慶喜(よしのぶ) 1866-1867

1866-12
徳川慶喜が15代目将軍となる
1867-01-30
明治天皇が即位する
1867-05
中岡慎太郎の仲介による薩摩藩(西郷隆盛など)と土佐藩(板垣退助など)の武力による討幕同盟。
1867-06
坂本竜馬が土佐藩の参政である後藤象二郎船中八策を提示する
1867-06-22
坂本竜馬の仲介による薩摩藩(西郷隆盛大久保利通など)と土佐藩(後藤象二郎など)の政治同盟。2ヵ月半で解消された。(公議政体)
1867-10-03
土佐藩が徳川慶喜大政奉還を建白する
1867-10-14
徳川慶喜が政権を明治天皇に返上する。これにより江戸幕府は崩壊した。この前後に薩摩藩・長州藩に討幕の密勅が下るが取り消しされた。
1867-11
1867-12
徳川慶喜将軍職辞職。天皇主体の明治政府が誕生する。
摂政関白幕府などが廃止されて、新たに総裁議定参与三職を天皇の直下に設置する。同日、三職からなる小御所会議を開き戊辰戦争の発端となる。

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