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古代(エジプト/中東) - [紀元前 ~ 476年]

エジプト文明ナイル川を中心に栄える。古代エジプト古王国中王国新王国で3000年に渡り栄える。
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中世(エジプト/中東) - [476年 ~ 1453年]

ササン朝ペルシア東ローマ帝国との対立でシルクロードのルートが不安定になる。迂回路としてアラビア半島西部ヒジャーズ地方(メッカメディナなど)が商業都市として発展する。
そこで、ムハンマドによるイスラム教が誕生する。
アラブ人によるイスラム帝国ムハンマド時代から、正統カリフウマイヤ朝アッバース朝まで栄える。(アラブの栄光)
イスラムの税金異教徒へのジズヤ(人頭税)ハラージュ(土地税)ザカート(収入税)、貿易税の4つが基本となる。
10世紀頃にはファーティマ朝ブワイフ朝が成立してアッバース朝が衰退する。その後、トルコ系によるセルジューク朝アナトリアメソポタミアヒジャーズ周辺を支配する。
1299年にアナトリアオスマン帝国(トルコ系)が誕生する。急速に領土を拡大して、1453年に東ローマ帝国を滅亡させる。
そして、東地中海沿岸オリエント(エジプトメソポタミア)、ヒジャーズ周辺を支配して1922年まで繁栄する。
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近世(エジプト/中東) - [1453年 ~ 1789年]

オスマン帝国スレイマン1世の時代に最盛期を迎える。
地中海が「スレイマンの海」と呼ばれるほど領海を広げた。
その後、数々の戦争に負け続ける。
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近代(エジプト/中東) - [1789年 ~ 1992年]

19世紀頃からオスマン帝国は「瀕死の病人」で弱体化する。
エジプト総督ムハンマド・アリーエジプト近代化オスマン帝国首都まで制圧する勢いとなるが、イギリスによる干渉で失敗に終わる。
宗教/民族問題を多く抱えるバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、ここから第一次世界大戦が始まる。
オスマン帝国は敗北。大幅な領土削減でアナトリア半島周辺のみとなる。その後、消滅してトルコ共和国が成立する。
そして、フサイン・イブン・アリーヒジャーズ王国の初代国王となる。長男はヒジャーズ王国の2代目。次男はトランスヨルダン王国の初代国王。三男はイラク王国の初代国王となる。
その後、ヒジャーズ王国サウジアラビアに制圧される。
その中でエジプトナセル第三世界アラブのリーダーとして台頭するが、第三次中東戦争の惨敗で求心力を失う。
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現代(エジプト/中東) - [1992年 ~ ]

現在も中東周辺の民族、宗教問題は解決していない。

世界史、日本史のまとめ


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