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古代(中国) - [紀元前 ~ 476年]

紀元前3000年頃には邑(都市)が形成される。次第に大邑(都市国家)となり殷王朝(いん)が誕生する。(甲骨文字など)
武王を滅ぼし周(しゅう)を建国する。
封建制で一族や功臣などを諸侯として封土(ほうど)を与える。
が衰退。春秋時代戦国時代を経て秦(しん)が中国を統一する。
始皇帝の死後、各地で反乱が起きて劉邦によって滅ぼされる。劉邦項羽の覇権争いでは劉邦が勝利して前漢皇帝となる。統治システムは封建制郡県制を併用した郡国制を採用する。
その後、武帝シルクロードを整備する。
王莽(おうもう)前漢を倒して新(しん)を建国するが農民反乱で16年間で滅ぶ。そして、光武帝後漢(ごかん)を建国する。
200年の時が流れ、政治が乱れ、飢饉により群雄割拠の世となる。(曹操)、(劉備)、(孫権)の三国時代の覇権争いは曹操の子の曹丕(そうひ)を滅ぼす。そして、司馬炎西晋(せいしん)を建国後、を滅ぼし中国を統一する。
西晋遊牧民五胡(ごこ)により滅亡する。
五胡十六国東晋が共存する時代となる。北は5つの遊牧民族が16国以上の国を建国。南は東晋。次の南北朝時代の原型となる。
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中世(中国) - [476年 ~ 1453年]

北朝は五胡十六国北魏に統一される。その後、分裂して東魏西魏となる。そして、東魏北斉西魏北周となる。
南朝は東晋斉(せい)梁(りょう)の順に移り行く。
北周隋(ずい)となりを滅ぼし中国を統一する。
府兵制(徴兵制)、律令(律は刑法、令は行政法)、租庸調(租は穀物/庸は労役/調は絹や綿)。
大運河の建設高句麗遠征で国内は疲弊。
そして、李淵(りえん)を滅ぼし唐(とう)を建国する。
募兵制(志願)、節度使(地方防衛の役職)、両税法(夏冬2回徴税)。
高宗皇后則天武后が実権を握り一時的に帝位に就く。
玄宗の時代には絶頂期を迎える。その後、楊貴妃を溺愛して楊一族を要職につける。その為、国内で反乱が発生する。
朱全忠を滅ぼし後梁(こうりょう)を建国する。
その後、五代十国時代となる。
趙匡胤(ちょうきょういん)北宋(ほくそう)を建国後、統一する。
文治主義(軍人から官僚中心へ)、日宋貿易禁軍(皇帝直属軍)、殿試(皇帝による科挙の最終試験)、官戸(科挙による官僚一族)、形勢戸(地方の地主、有力者)、傭兵制活版印刷火薬羅針盤
北宋遼(りょう)西夏(せいか)に毎年財貨を贈る事で戦争回避。
女真族北宋を滅ぼす。南では高宗南宋を建国する。
モンゴル帝国を滅ぼし元(げん)を建国。により南宋は滅亡。
その後、農民反乱が各地で発生しては弱体化。
農民出身の朱元璋(しゅげんしょう)明(みん)を建国する。
勘合貿易(日明貿易)、海禁里甲制(村落制度)、衛所制(軍制度)、六諭(りくゆ)の教え一条鞭法(税を銀納)、北虜南倭(ほくりょなんわ)、陽明学四大奇書(三国志演義/水滸伝/西遊記)。
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近世(中国) - [1453年 ~ 1789年]

李自成を滅ぼして北京に入城。
40日後、(後金)に北京を奪われる。以後、は中国を支配。
八旗(軍制)、満漢併用制(役人は満州人/漢人を同数)、弁髪
は4代目 康熙帝(こうきてい)、5代 雍正帝(ようせいてい)、6代 乾隆帝(けんりゅうてい)の時代に最盛期を迎える。
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近代(中国) - [1789年 ~ 1992年]

イギリスからお茶の輸入で貿易赤字となる。
そこで、イギリス三角貿易アヘンに蔓延させて赤字を解消する政策をとる。では林則徐アヘンを没収、廃棄させる。
これに怒ったイギリスアヘン戦争を半植民地化に成功する。
「眠れる獅子」の欧州列強日本に侵略されてゆく。
孫文は「三民主義」(漢民族による共和制社会主義)を掲げる「中国同盟会」を東京で結成する。(後に国民党を結党)
満洲族による清王朝義和団の巨額賠償金支払いの為に「鉄道国有化」を宣言。各地で反対運動、民衆が蜂起する。
孫文ではなく袁世凱による独裁。数年で死去すると軍閥時代へ。
蒋介石率いる国民党中国を統一するが、共産党との争いは続く。
日中戦争に突入すると国共合作で共に日本に抵抗する。
戦後、国共内戦を再開。共産党が勝利して中華人民共和国を建国する。国民党中華民国台湾へ。
共産党毛沢東大躍進政策に失敗した責任で失脚。文化大革命で政権復権運動を行うが毛沢東の死去と共に終結する。
中国民主化を願うデモ天安門で行われるが政府に鎮圧される。
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現代(中国) - [1992年 ~ ]

中国世界の工場となる。GDPは世界2位。

世界史、日本史のまとめ


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