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近世ヨーロッパ - [1453年 ~ 1789年]

ルネサンス大航海時代(新航路/アメリカ大陸の発見)の幕開け。
ヨーロッパによるアメリカ大陸などの植民地化が始まる。
ヨーロッパ商人はインド航路でコショウナツメグなどの香辛料を求める。砂糖は三角貿易(奴隷貿易)で入手する。
ヨーロッパの名門王家であるハプスブルク家神聖ローマ帝国スペインオーストリアなど中世から近世まで強い影響力を持つ。
カトリック教会(教皇)は購入すると罪が軽くなるという贖宥状(しょくゆうじょう)を販売する。ルターが批判して宗教改革が始まる。
そして、キリスト教の各宗派による史上最大の宗教戦争、初の国際戦争が30年続き、神聖ローマ帝国は弱体化する。
大航海時代に栄華を極めた太陽の沈まぬ国(スペイン)は次第に没落してゆく。イギリスフランスによる植民地争奪戦争がはじまる。
オランダは世界最大の経済大国となる。イギリスイギリス革命議会政治産業革命世界の工場となる。フランスではヴェルサイユ宮殿の宮廷文化が栄える。ロシアは弱小国から躍進する。
 
 
14世紀
~ 16世紀
イタリアから始まりヨーロッパ諸国に広がる。フィレンツェの大商人メディチ家などの富裕市民が芸術家、学者のパトロンとなる。
15世紀末
~ 17世紀末
ヨーロッパ人によるアメリカ、アジア、アフリカ大陸への航海。
1453年
これによりヨーロッパ諸国は東方貿易が難しくなり大西洋航路を探索するようになる。
1479年
スペイン王国が成立される
1488年
ディアス(ポルトガル)がアフリカの喜望峰に到達する
1489年
1492年
1494年
スペインポルトガルによる新領土の分割方式。
1497年
カボット(イギリス)が北アメリカに到達する
1498年
ヴァスコ・ダ・ガマ(ポルトガル)がインド航路を発見する
16世紀 ~
スペインは中南米(北アメリカ南部、西インド諸島、南アメリカの西側)を植民地とする。ポルトガルブラジル植民地にする。
西インド諸島ブラジルでは、黒人奴隷を利用した砂糖プランテーション(サトウキビの大規模農場)やコーヒー栽培などが始まる。
ヨーロッパ商人はアフリカで武器、綿織物黒人奴隷を交換する。次に西インド諸島/ブラジルなどで黒人奴隷を販売する。その代金で砂糖、コーヒー、綿花などを購入してヨーロッパに戻る。
(アフリカからアメリカ大陸に運ばれた総数は1000万人以上)
16世紀 ~
16世紀 ~
1511年
ポルトガルマラッカ(マレー半島南西)を占領する
1514/1517年
ローマ教皇による罪が軽減する贖宥状(免罪符)の販売
1517年
1519年
マゼラン(スペイン)が西回りによる世界周航
1521年
1521年
ヴォルムス帝国議会 - ルターに主張の撤回を求めたが拒否する
1524年
ドイツ農民戦争 - 農奴制の廃止などを求めるが鎮圧される
1529年
1533年
1534年
ザビエルらによりイエズス会が設立される
1534年
1536年
カルヴァン予定説を唱える
1540年
1545年
南米のボリビアポトシ銀山が発見される
1555年
神聖ローマ皇帝カール5世ルター派のプロテスタントを公認する(カルヴァン派は認めない)
1559年
エリザベス1世イギリスの女王となる
1562-1598年
1571年
1581年
1582年
1588年
イギリス vs スペインの無敵艦隊(アルマダ)。スペイン惨敗。
1598年
ナントの勅令 - 個人の信仰の自由を認める(フランス)
16世紀後半~
1600年
1602年
1609年
1613年
1618-1648年
キリスト教の各宗派による史上最大の宗教戦争、初の国際戦争。
講和条約はヴェストファーレン条約(神聖ローマ帝国の死亡診断書)
1620年
1623年
オランダによるイギリス商館員虐殺事件。これによりオランダチョウジナツメグ香料諸島(モルッカ諸島/インドネシアの島)を支配するようになる。
1628年
イギリス議会は国王(チャールズ1世)による「議会の同意なしの課税」を拒否するが、国王は議会を解散(11年間)。
1635-1659年
フランス・スペイン戦争 - フランス有利
1641-1649年
イギリス議会は王党派、議会派(長老派/独立派)に分かれ対立する。独立派のクロムウェルが勝利してチャールズ1世を処刑する。
この革命によりイングランド共和国(1649-60年)となるが、クロムウェル護国卿となり独裁政治を行い病死する。
その後、王政復古によりチャールズ2世が即位する。(1660年)
1648-1653年
フロンドの乱 - フランスの貴族の反乱
1652-1654年
1682年
1683年
1683-1699年
1685年
ナントの勅令が廃止され20万以上がフランス国外へ流出する
1685年
ジェームズ2世がイギリス国王に即位する
1688年
ジェームズ2世を追放してオランダにいるジェームズ2世の娘(メアリー2世)と娘婿(ウィリアム3世)を共同統治者とする。
この際に「権利の章典」(臣民の権利と自由を宣言し、かつ、王位の継承を定める法律)が制定される。(国王は君臨すれども統治せず)
1689-1815年
イギリスフランスによる植民地争奪戦争(イギリス優位)
1689年
ネルチンスク条約 - ロシア中国との国境線協定
1690年
ロックが「統治二論」を出版する
17世紀後半 ~
1700-1721年
1701-1714年
スペイン継承戦争 - フランスによるスペイン王家の継承戦争
1707年
1721年
イギリス責任内閣制(内閣は議会に対して責任を負う)が成立
1721年
1740年
1740-1748年
1748年
モンテスキューが「法の精神」(権力分立など)を出版する
1756年
1756-1763年
七年戦争 - 欧州列強による国際戦争(イギリスなど勝利)
1762年
ルソーが「社会契約論」を出版する
1766-1779年
キャプテン=クックによる世界周航(南半球の正確な海図の作成)
1769年
蒸気自動車が発明される
1770年
1773-1775年
プガチョフの乱 - ロシアでの大規模な農民の反乱
1774年
1775-1783年
独立の原因はイギリス本国から13植民地に対しての政策の失敗。(砂糖法印紙法タウンゼンド諸法茶法など)
イギリスの敗因は「フランススペインオランダアメリカに援助」「アメリカ領土が広大」「アメリカイギリス間の距離が遠い」などが挙げられる。
1776年
アダム・スミスが「国富論」を出版する
1783年
パリ条約 - イギリスアメリカの独立を認める
18世紀後半~
世界に先駆けてイギリス産業革命が始まる。飛び杼(とびひ)、紡績機蒸気機関鉄道などイギリス世界の工場となる。
18世紀後半~
奴隷制への批判が強くなる

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